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元格闘家のTVディレクター、故郷で移住者のハブになる

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70seedsではこれまで、全国各地のさまざまな「移住ストーリー」を伝えてきました。

ある人は福岡、ある人は新潟、ある人は大槌……。

たくさんの人のストーリーを聞く中で、移住を決めたひとびとのある一つの共通点を見つけました。それは、震災をきっかけに都会暮らしの「揺らぎ」を感じたということ。

今回ご紹介するのは、同じように震災を機に都会での生活や、現代人の働き方に疑問を感じ、ローカルへの可能性を見出した青年。長崎県平戸市で「3rdBASEcafe」を営む力武秀樹(りきたけ ひでき)さんです。

田平の海に面した3rdbaseCafe。中に入ってみるとそこは、ゆったりできるハンモックに、懐かしさを感じる小学校のイスといった家具を横目に若者たちが談笑する、自由な空間でした。そんなカジュアルな雰囲気が受けたのか、オープンから3年、今では平戸内外の若者たちが集まるハブ的存在になっています。

もともと都内でテレビディレクターをしていたというオーナーの力武さん。彼は震災を機に、地元に戻る決意をしました。Uターンしてから5年、力武さんはどんな手ごたえを感じ、いまどんな未来を描いているのか聞いてきました。


格闘家を目指し上京。しかし・・・

ー僕(取材者:岡山)は平戸出身なんですが、こんな素敵な場所があるなんて知りませんでした。海沿いでいいところですね。

僕はもともと釣りが大好きで、Uターンしてきた理由の50%は「釣りがしたい」だったので(笑)、この場所はとても気に入っています。

ーそのUターンしてきた理由、もっと知りたいです。少しさかのぼって、もともと東京へは何をしに行ったのでしょうか。

僕は高2のころから格闘技が大好きで、高校中退して格闘家になろうと思ってたんです。でももちろん親には却下されたので、高校を卒業してから上京しました。親にはそれらしい理由をつけたんですが、もちろん本音は格闘家になりたくて。

ー今の仕事からは想像できない出だしですね。念願の格闘家生活はどうだったんですか?

総合格闘技のジムに入れてもらい、プロデビューするところまではできました。1試合だけ出させてもらうこともできて勝つことができたんですが、そのあとすぐに目を怪我してしまい、1試合で引退に追い込まれてしまったんです。

ーあらら。出鼻をくじかれてしまったというか…。

引退してから半年はぎりぎりバイトだけして廃人のような生活をしていました。その頃に地元に帰るという選択肢はなかったんですが、廃人生活も長くは続かず、就職活動を始めることになります。個人的にスーツを着る仕事はしたくなかったので、就職情報誌を見てテレビの制作会社を見つけて、面接を受けに行ったんです。あんまり準備せずに。

集団面接だったんですが、みんな自己PRがうまいんですよね。学歴も早稲田や慶應ばかり。かたや僕は高卒。もう途中からどうでもよくなって「気合いと根性はあります、以上」とだけ言って自己PRを終わらせたんですけど、会社のナンバー2が格闘技オタクだったらしく、プロの試合に出たことがあるっていうのが気に入られて受かっちゃったんですよ(笑)

ーすごい(笑)。

あとから採用枠が2人だったって聞いてびっくりしました。面接をしたその日の夜に電話で採用が伝えられて、明日から来るように言われて出社したんですが…最初の日は挨拶ぐらいだと思うじゃないですか。そしたらいきなり80時間ぶっ続けで働かされて…。いわゆるADという仕事で、ほんとうにきつくて地獄の日々でした。結局気合も根性ももたなくて、1年半ぐらいで退職しちゃうんですよね。

ーAD、辛いってよく言いますよね。そこからはどうするんですか?

その1年半で知り合った業界のお偉いさんと飲みに行くうちに、「知り合い紹介しようか?」というようなつながりでフリーのADとしてどんどん仕事が入っていって、制作会社に入っていると10年は働かないとなれないディレクターに、23~4歳でなることができたんです。そこから収入に関しては安定するようになりましたね。

ー紆余曲折ありすぎるけど、なんかうまくいっちゃってるのがすごいです……。

ディレクター生活、活路を見出し始めたころに訪れた震災

ー紆余曲折ありましたが、フリーのディレクターにもなれ、順調な人生のスタート、という感じもします。

そうですね。少しずつほどよいサボり方を覚えていきつつ、仕事は断らなかったので稼ぎは良かったです。ただ、20代中盤で「このペースでやっていたら死ぬかも」と思い始めるんです。それと同時に、仕事以外ロクにできない生活をしていたな、と気づいて。

ーおお、フリーでやっていると直面しそうな悩みですね。

そこから「この金額以上は稼がない、それ以上の仕事は断る」という自分ルールを作るようにして、ちゃんと自分の時間を作ろうと。

業界内には仕事を選ぶことに関して快く思わない人もいましたが、結果的にこの判断が今の自分につながっているんじゃないかなと思います。仕事以外のさまざまな遊びにも触れて、いろんなことを考えるきっかけになりました。

ーここまで聞いてみて、ライフワークバランスも整ってきましたし、東京での生活を快適に過ごしている理想的な生活のように思います。そんななか力武さんがUターンを考えた転機はいつ訪れたのでしょうか。

先ほど言ったような生活が続く中で、自分が作りたい番組を作るために再び会社員としての道を選択しました。そこで働き始めて1年くらいたったころ、自宅で編集をしているところに東日本大震災が起きました。それが転機ですね。

ー震災が転機に。

翌日どうなるんだろうと不安に思って会社に行ったら、人事が黄色いヘルメットを持ってきて「これ被って編集作業しろ」って言われたんです。それを見た瞬間に社員もそれぞれ家庭や両親がいるのに「こんな時に(釣りの)番組作ってる場合じゃないだろ」と思って。会社も社員への愛が感じられなかったし、もっとやるべきことがあるんじゃないのかと思い、その日その勢いで会社を辞めました。

ー勢いで!

当時付き合っていたパートナーにそのことを言ったら怒られましたけどね(笑)。そこからまた格闘技をやめた時のようなニート生活をしつつ、これからの人生について考えました。テレビ業界は自分にとって潮時だと思っていたし、地方に対しても少しアンテナが立っていて、移住についても視野に入れていました。

そんなさなか、夕方のニュースを見ていたら、起業家支援、それもソーシャルビジネスの立ち上げ支援のスクールが紹介されていて、「行ってみよう」と思い、半年ほど通いました。そこでの半年はいろんな人の話が聞けて刺激的でしたが、中でも右腕プロジェクトというプロジェクトに関わったことが大きかったです。

ーどんな影響を受けたんでしょうか。

直接被災地に行き、そこで若い世代が真剣に話し合って行動している環境があることを知り、純粋にすごいなぁと。

自分に置き換えた時、自分の周囲は地元のことを「つまらない」としか言わないのに、東北では地元を面白くしようとしている人がたくさんいるというのが印象的でした。地方移住を考えたときに、あまりUターンのことは考えていなかったんですが、東北の方たちと触れ合う中で、どうせやるなら地元でやりたいな、と思い、平戸へ帰ることを決めました。

一緒にやりたい人を探すよりも、人が集まる場所をつくる

ーそれから平戸へ戻って来るわけですが、カフェの構想はすでに持っていたのでしょうか

いえ、帰ってきたはいいものの、なにもやることは決めていませんでした。漁師のアルバイトを週3でやりながら、そのほかの時間はやりたいことの準備という感じでした。

ー漁師のアルバイト、ですか。

はい。たまたま知り合った漁師の方に、今思うとプロに対して失礼なんですが、「週3くらいでやったりできますか?」と聞いたら「全然いいよ」と言ってくれて、願ったりかなったりというか、本当にありがたかったです。

ーそんななか、カフェをやろうと思ったのはなぜでしょうか。

カフェをやる前に、平戸の魅力を発信するウェブサイトを運営しようとしていました。ですが、1人では難しいじゃないですか。だから共感してくれる人をその都度探すんですけど、そのたびに若くて共感してくれる人達を探すのって大変なんですよね。なにか始めるたびに場所を探して集まって・・・というのが億劫で、だったらもうそういう「場所」を作ったれ!と思ったんです。それでカフェを始めようと。

ーなるほど。カフェは自分のやりたいことを実現するいわば「地盤」のようなものなんですね。

そうですね。それでもはじめの頃は仲間がいませんから、カフェづくりは基本1人でした。仲の良い知人が手伝ってくれましたが、みんなそれぞれ職場や家庭があって、「コミュニティの人」ではなかったので、寂しさを感じることもありましたね。準備の最終段階でこそ親戚のおじちゃんなど、手伝ってくれる人は出てきましたが、そんな中でオープンを迎えました。

ーオープン後、カフェはどんな場になっていきましたか。

若者を中心としたコミュニティを作っていきたかったので、音楽祭やマルシェ、色んな分野の方の面白い話を聞く企画など、様々なイベントを企画しました。やっていく中で、だんだんとコミュニティが派生していって、大きくなっていくのを感じました。

音楽祭でいうと、お客さんだけでなく、出演者も知り合いのツテで出てくれたり、スタッフもお客さんがやってくれたりと、基本好き勝手しているお客さんが助けてほしい時には手を貸してくれる。そんな緩やかなつながりが生まれていくのが楽しい。そんな場所になりました。

ー最後に、力武さんがこれからやっていきたいことを教えてください。

先ほども言ったように、若者を中心としたコミュニティを作っていきたいと思っているので、何もないところから若者が好き勝手出来るような、そんな「若者特区」のような場所を平戸で作っていきたいですね。

まぁそれでも準備が整ってきて、やっとこれから何かができるんじゃないかな、という段階だと思います。このカフェに関しては、アンテナを張っている人たちだけが来て盛り上がるのではなく、荒っぽい漁師のおっちゃんとか、おばちゃんとか、そういうローカルに根差した人々と一緒に盛り上がっていける、そんな場所にしていきたいと思っています。


【編集後記】

私が生まれた平戸という街は、歴史も食も立地も、ありあまる資源に恵まれた場所です。自分自身、そんな生まれ故郷を舞台にいつか何かやりたいと思っていたとき、知人のSNS投稿から偶然見つけた力武さん。決して派手ではない語り口の裏側に隠された波乱万丈のストーリーからは、「思い切ってやってみる」ことの大切さを強く感じ取ることができたように思います。

取材:岡山史興

編集:丸山 彬

Source: ハフィントンポスト

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genki

genki

 小学校元教諭。6年間、教壇に立つが日々追われる実務、長引く会議、閉塞的な職場に、次第に心が疲弊していく。やがてブラックな職場で自殺願望すら生まれ、このままでは死ぬ前に後悔する人生になってしまうと思い退職を決意。小学校の先生を辞め、自力で稼ぐと決断する。
 そして、幸運な事にビジネスの権威と出会う機会に恵まれ、直接指導を受ける機会を得る。この決断がたった1つの奇跡的な出会いを引き寄せ、その後は師に教わったビジネスノウハウをひたすら実行し続け会社の発展に至る。
 会社設立から3年後、デンマークで最高峰の働き方が実施されている企業を現地視察。管理職、社員が共に幸せになれる8つのエッセンスを欧州より持ち帰り、自身の会社を通して日本中に広めようと奮闘中。
 埼玉県さいたま市出身。既婚。早く子供が欲しく妊活真っ最中の1983年5月生まれ。趣味は空手、柔術、ウクレレ、食べること、バターコーヒー。好きな言葉は下座達観。

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