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オウム真理教の痕跡をクリミアで見た。今もロシアに残る麻原彰晃の幻影

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ロシア人信者らに話をする麻原彰晃・オウム真理教代表(当時、右)=1993年12月、モスクワ

街は異様な雰囲気だった。覆面をかぶり、所属部隊を示す紀章もつけていない「謎」の兵士たちがあちこちでにらみをきかせる。

2014年3月。ウクライナ領であるはずのクリミア半島に突如、正体不明の軍隊が現れ、街は騒然としていた。彼らに守られるように、一部の住民たちは公然とクリミアの独立を路上で叫んでいた。

突如、クリミアに出現した覆面姿の兵士=2014年3月

ウクライナでの政変をきっかけに始まった「クリミア危機」は、燎原の火のごとく半島を包んでいった。独立派が議会や路上で急速に存在感を高め、それに呼応するように覆面の兵士たちが続々と姿を現した。ウクライナ兵士たちは抵抗できずに基地を明け渡した。

クリミアに上陸した正体不明の部隊。彼らの一部は取材に対し、ロシア兵であることを認めた=2014年3月

そんな状況を取材するため、当時朝日新聞モスクワ支局員だった私は半島の中心都市シンフェローポリに入った。

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覆面姿の兵士らは、当初からロシア軍だと噂されていた。ロシアのプーチン大統領は頑なに否定していたが、私がある兵士に恐る恐る声をかけると、あっけらかんとこう答えた。

「俺たちモスクワからやってきた。そんなことより、慌ててきたんで金がないんだ。ロシアの銀行のキャッシュカードがここで使えなくて困ってる。なんとかならんか」

政権がどんなに「強権的」になろうとも、「末端」をコントロールしきれないのは、実にロシアらしいと思った。

「クリミアよ、ロシアとともに」と書かれた旗に賛同の署名をする男性=2014年3月、シンフェローポリ

ロシア軍が介入するのには、わけがあった。

ウクライナは建国以来、東西を二分する形で対立していた。西部は地理的に近い欧州連合(EU)への接近を望んでいた。一方、東部はロシア寄り。27年前までは巨大国家「ソ連」のもと、同じ国民として暮らしていた。その絆は東部でより強かった。

2013年になると、ロシア寄りのヤヌコビッチ大統領(当時)が、EU(欧州連合)との経済連携を寸前で見送った。これに激怒した西部を中心とする勢力が首都キエフの中心部を占拠し、ヤヌコビッチ氏は大統領の座を追われた。

ヤヌコビッチ政権に反対する集会参加者(奥)と衝突する警察隊(手前)=2013年12月、キエフ

反政府派から大統領の座を追われ、ロシアに出国後、記者会見するヤヌコビッチ氏=2014年2月、ロシア・ロストフナドヌー

代わってヨーロッパ寄りの新政権が誕生したが、今度は東部で反発の動きが起きた。旧ソ連を自国の「勢力圏」と考えるロシアもまた、次第に危機感を募らせていった。それがクリミアで爆発したというわけだ。

プーチン大統領は国際社会の反対を押し切って、クリミア半島をロシアに編入すると宣言した。大国が武力で国境線を変更する不条理を目の当たりにした。

クリミアをロシアに編入する方針を宣言するプーチン大統領=2014年3月、モスクワ・クレムリン

クリミアで見たオウムの影

そんな世界史的な動きを取材する一方、私にはもう一つ、自分なりの「ミッション」があった。少し前から関心を持ち始めたテーマの関係先が、たまたまシンフェローポリにあったのだ。

そのテーマとは、オウム真理教に関係する問題だった。ロシアとオウム真理教とのつながりは強い。ソ連が崩壊した次の年にあたる1992年9月、モスクワ支部が設立された。上祐史浩氏をトップに勢力を拡大し、信者は3万人とも5万人とも言われている。

瞑想をするオウム真理教のロシア人信者たち=1995年3月

アメリカと張り合っていた自国が突如解体し、12の国々に分裂したことによるロシア人の喪失感と、経済的な困窮は計り知れなかった。ソ連時代は宗教は否定され、弾圧されてきた。そんな中、「理想」と言い聞かされてきた社会主義、共産主義が夢散し、人々は精神的な支柱を失った。

そんな心の隙間に入り込んだのが、オウム真理教だった。教団側はテレビやラジオで盛んに宣伝、有力政治家たちに接近していった。入信者は後を立たず、日本と同じように、自宅や金など、なけなしの財産を教団に納めた。

一方、教団はロシアからカラシニコフ自動小銃や軍用ヘリなどの武器を調達した。こうしてモスクワ支部は布教、教団の「武装化」の両面で重要拠点となり、信者の数でも海外拠点で最も多くなった。

オウム真理教の麻原彰晃(本名・松本智津夫)代表(当時)が1995年に逮捕されると、ロシアでもオウム真理教は禁止された。一部のロシア人信者たちは活動拠点を求めて海外へと出た。その一つが、ウクライナのシンフェローポリだった。

ロシア人信者との集会で話をする麻原彰晃・オウム真理教代表(当時、右)とモスクワ支部トップを務めていた上祐史浩氏(右から2人目)=1993年12月、モスクワ

シンフェローポリでは、ロシア海軍の関係者だった男性信者が1998年ごろ、オウム真理教の教義を引き継いだ宗教団体を設立した。教義のほとんどがオウム真理教と同じ、と捜査当局は見ていた。クリミア危機の最中、私はこの拠点を訪ねた。

住宅が並ぶ静かな路地を進む。目的の住所にたどり着くと、古ぼけた大きな屋敷が現れた。高い壁に囲まれて中はうかがい知れない。ドアをノックしたが、誰も出てこない。近所の人に聞いてみると、以前は複数の人が出入りしていたが、宗教関係者かどうかはわからないという。

オウム真理教の競技を受け継ぐ宗教団体が入っていた家屋=2014年3月、シンフェローポリ

取材は空振りに終わった。無理もない。なにしろ団体はその10年ほど前、すでに拠点をモスクワへと移していたからだ。信者の不審死をめぐってウクライナ当局から捜査を受けたことが移転の理由とされていた。

移った先は、モスクワ西約400キロにあるニジニ・ノブゴロド郊外。ニジニ・ノブゴロドと言えば、サッカー・ワールドカップの会場の1つになった場所だ。

移転後、団体の名前も変え、活動を再開。ロシアではオウム真理教は禁じられているため、そのつながりを団体側が認めることはなかった。

「理想郷」出現で騒然

そしてこの団体は再び、耳目を集めることになる。クリミア危機が起きる前年、信者らの「理想郷」をつくろうとしているとして一部の地元メディアが騒ぎ出したからだ。

広大な土地に白い荘厳な寺院などが建てられていた。ある女性信者の子どもが不審死を遂げるなどの「事件」も起きた。私がシンフェローポリの関係先を訪ねたのは、こうした事情があったからだ。

結局、クリミア取材に追われた私はそれ以上、この宗教団体を調べることはできなかった。その上、クリミアから戻ると間もなく人事異動で帰国することに。「時間切れ」となった。

だが、その後の地元メディアによる報道によると、この団体は設立した宗教共同体に人々を力づくで入れようとした容疑で、捜査機関の摘発を受けたという。

オウムを継ぐロシア人

この団体だけではない。モスクワでは2018年5月、モスクワやサンクトペテルブルクでオウム真理教の布教をしていた疑いで別の男が逮捕された。

捜査機関の調べによると、日本にいる指導者の指示を受け、2010年に宗教グループを設立。オウム真理教の教えを説きながら勧誘していたという。ほかにもオウム真理教関連で摘発される人は後を絶たない。

松本死刑囚は7月6日、ほかの元教団幹部6人とともに麻原死刑囚の死刑を執行した。元幹部の死刑囚はまだ6人いるほか、後継団体「アレフ」や、そこから分派した「ひかりの輪」や「山田らの集団」は活動を続けている。松本死刑囚の遺骨の引き取りをめぐり、家族間で対立も起きている。

日本で、ロシアで、オウム真理教の問題は続く。


Source: ハフィントンポスト

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genki

genki

 小学校元教諭。6年間、教壇に立つが日々追われる実務、長引く会議、閉塞的な職場に、次第に心が疲弊していく。やがてブラックな職場で自殺願望すら生まれ、このままでは死ぬ前に後悔する人生になってしまうと思い退職を決意。小学校の先生を辞め、自力で稼ぐと決断する。
 そして、幸運な事にビジネスの権威と出会う機会に恵まれ、直接指導を受ける機会を得る。この決断がたった1つの奇跡的な出会いを引き寄せ、その後は師に教わったビジネスノウハウをひたすら実行し続け会社の発展に至る。
 会社設立から3年後、デンマークで最高峰の働き方が実施されている企業を現地視察。管理職、社員が共に幸せになれる8つのエッセンスを欧州より持ち帰り、自身の会社を通して日本中に広めようと奮闘中。
 埼玉県さいたま市出身。既婚。早く子供が欲しく妊活真っ最中の1983年5月生まれ。趣味は空手、柔術、ウクレレ、食べること、バターコーヒー。好きな言葉は下座達観。

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